視点の転換

価値の提供

自分の人生のテーマはやっぱり「視点」。
「視点の転換で価値を生む」集団を作りたい。
一番大切にしている、自分にとって「聖書」とも言うべき本にはこう書いてある。

 君は、コペルニクスの地動説を知ってるね。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人は、みんな、太陽や星が地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。これは、一つは、キリスト教の教会の教えで、地球が宇宙の中心だと信じていたせいもある。しかし、もう一歩突きいって考えると、人間というものが、いつでも、自分を中心として、ものを見たり考えたりするという性質をもっているためなんだ。

 ところが、コペルニクスは、それではどうしても説明のつかない天文学上の事実に出会って、いろいろ頭をなやました末、思い切って、地球の方が太陽のまわりをまわっていると考えて見た。そう考えて見ると、今まで説明のつかなかった、いろいろのことが、きれいな法則で説明されるようになった。

そして、ガリレイとかケプラーとか、彼のあとにつづいた学者の研究によって、この説の正しいことが証明され、もう今日では、あたりまえのことのように一般に信じられている。小学校でさえ、簡単な地動説の説明をしているようなわけだ。

 しかし、君も知っているように、この説が唱えはじめられた当時は、どうして、どうして、たいへんな騒ぎだった。教会の威張っている頃だったから、教会で教えていることをひっくりかえす、この学説は、危険思想と考えられて、この学説に味方する学者が牢屋に入れられたり、その書物が焼かれたり、さんざんな迫害を受けた。

世間の人たちは、もちろん、そんな説をうっかり信じてひどい目にあうのは馬鹿らしいと考えていたし、そうでなくとも、自分たちが安心して住んでいる大地が、広い宇宙を動きまわっているなどという考えは、薄気味が悪くて信じる気にならなかった。今日のように、小学生さえ知っているほど、一般にこの学説が信奉されるまでには、何百年という年月がかかったんだ。

 こういうことは、君も『人間はどれだけの事をして来たか』を読んで知っているにちがいない。が、とにかく、人間が自分を中心としてものを見たり、考えたりしたがる性質というものは、これほどまで根深く、頑固なものなのだ。

 コペルニクスのように、自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと坐りこんでいると考えるか、この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりの事ではない。世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱり、ついてまわることなのだ。

 子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子供の知識を観察して見たまえ。みんな、自分を中心としてまとめあげられている。電車通りは、うちの門から左の方へいったところ、ポストは右の方へいったところにあって、八百屋さんは、その角を曲ったところにある。静子さんのうちは、うちのお向いで、三ちゃんところはお隣りだ。

こういう風に、自分のうちを中心にして、いろいろなものがあるような考え方をしている。人を知ってゆくのも同じように、あの人はうちのお父さんの銀行の人、この人はお母さんの親類の人という風に、やはり自分が中心になって考えられている。

 それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になって来る。広い世間というものを先にして、その上で、いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。場所も、もう何県何町といえば、自分のうちから見当をつけないでもわかるし、人も、何々銀行の頭取だとか、何々中学校の校長さんだとかいえば、それでお互いがわかるようになっている。

 しかし、大人になるとこういう考え方をするというのは、実は、ごく大体のことに過ぎないんだ。人間がとかく自分を中心として、ものごとを考えたり、判断するという性質は、大人の間にもまだまだ根深く残っている。いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜け切っているという人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。

殊に、損得にかかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常にむずかしいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方の出来る人は、非常に偉い人といっていい。たいがいの人が、手前捗手な考え方におちいって、ものの真相がわからなくなり、自分に都合のよいことだけを見てゆこうとするものなんだ。

 しかし、自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることが出来ないでしまう。大きな真理は、そういう人の眼には、決してうつらないのだ。

もちろん、日常僕たちは太陽がのぼるとか、沈むとかいっている。そして、日常のことには、それで一向さしつかえない。しかし、宇宙の大きな真理を知るためには、その考え方を捨てなければならない。それと同じようなことが、世の中のことについてもあるのだ。

いやぁ、ほんとこの本すげぇな。。こういうこと言える大人になるのが自分の目標です。ちなみにこの本です。

 

でもずっとずっと訓練してきて、ようやく「地動説」のような視点を持てるようになったと思っている。それでもやっぱり、いつどんな時でも多視点を持つことは難しいなぁと実感。

どうやって価値を提供するか

最近知ったサービス、SARAH。

sarah30.com

これは既存の食べログぐるなびなどお店単位で探すのに対して、このサービスはメニュー単位で探す。メニュー単位で写真を見ることができ、メニュー毎に評価がある。

例えばおれはチャーハンが好きなんだけど、チャーハンを食べログで検索すると「ラーメン屋にあるチャーハン」が出てきて、ラーメン屋の評価が出てくる。お店単位での評価だと、ラーメンが美味しいのかチャーハンが美味しいのか判断できない。

ここだったら写真で探す時も「チャーハン」の写真が一覧で出てくるし、探しやすい。
このサービスは本当に素晴らしいなぁと思います。ぜひぜひ有名になってもっと便利になってほしい。

このサービスをよくよく考えてみると、「視点の転換」で価値を生み出している。
お店という評価軸ではなく、メニュー毎という評価軸。
ただそれだけなんだけど(笑)、とてつもない価値を生み出している。

でも世の中にはこうやって「視点の転換=地動説から天動説のような」で価値を生み出してきたものがたくさんある。

 

自分ももうすぐ違った視点で作った新しいサービスをリリースします。改めてこちらのブログにも広告したいと思います。